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まったく機械を使わない人力農に挑戦。田起こしは三本鍬(ぐわ)で

記者コラム 多事奏論 編集委員(天草)・近藤康太郎

 高校のとき、倫理社会の教師が授業でしていた雑談を、よく覚えている。戦後すぐで食いものがなかった時代、家族のため米の買い出しにいったそう。農家の軒先で窮状を訴えたが、そこの女性は「米なんか、にゃあだよ」とすげなかった。しょげてると、ふと目にした。その家の猫が、米の飯を食っている!

 「だから、百姓は大嫌いなんです」

 唇を震わせていた。半分は冗談だろうけど、この話はどうなのかなぁ。猫は好んで米の飯なんか食わねえだろうし。わたしもいまや百姓だが、猫のための食べ物なら、だれにもやらない。自分が食う米をなんとか融通する。したいと思う。

 「令和の米騒動」以来、米はすっかり高価なものになった。経済が専門の原真人編集委員が「安くてうまいコメ取り戻そう」という鋭いコラムを先日、本欄に書いていた。異常気象が続いて米の不作は今後も続きそうだ。食料安全保障のためにも、票目当ての減反政策はやめよ。大規模な主業農家や企業に政策資源を集中し、安価な米を大量供給させよう。

 山間の棚田でちまちま米を作り、市場にも出していないわたしなどは、お話の対象にもなっていない部外者だ。それはいいが、問題外の零細百姓の立場からふたつ言わせてもらえば、米はいまでも十分安いんじゃないの、とは思う。

 肥料や農薬、機械の維持費を…

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